DSS郡上の指導者、飯島寿久についての話
こんにちは!
地域部活童振興会の竹内です。
この投稿では地域部活童振興会の理事の1人としてというよりも、1サッカーファンとして飯島寿久の紹介をブログとして書かせていただきます。
と、言いますのは私の世代(40歳です)で子供の頃からサッカーファンの方は飯島を知っていると思いますが、現在の少年少女には「どんな選手?どんなコーチ?」という疑問があるのではないかと思ったからです。
さて、私はJリーグ発足からずっとサッカーを見続けているのですが、私の世代だとDSS郡上の指揮官である飯島寿久というのは憧れのアスリートの1人です。
Jリーグチップスのカードにもなっていましたし、当時のスーパーファミコンでのサッカーゲームなどにも出ていたグランパスのスター選手ですから、当時25年ほど昔の私竹内少年はまさか将来このような形で関わるなんて想像もできませんでした。
スタジアムでは必死に声が枯れるまで声援を送っていましたし、内緒の話ですが「何やってるんだ!ブーーー!」とブーイングをしたこともあります(笑)
そんな飯島寿久”選手”ですが、後にアーセナルの監督として活躍し世界中で知らない人はいないアーセン・ベンゲル監督がグランパスの指揮官だった時の守備の要としてサイドバックでプレーしていました。
私と同世代の方は目を閉じれば思い出すことでしょう、小川・大岩・トーレス・飯島の鉄壁の守備陣。
そしてその前にはストイコビッチ、小倉、浅野、平野、岡山、デュリックスなど豪華タレント揃いとなり、95年には天皇杯で優勝をしました。
2000年までグランパスでプレーをし、そこから川崎フロンターレ・アビスパ福岡でプレーをして引退→指導者へと足を進めました。
youtubeで福岡時代に飯島がゴールを決めた動画がありましたのでシェアさせていただきます。
2003年から育成コーチとなり、2009年からグランパストップチームのコーチとなりました。
そして2009年はACLのグループリーグ1位通過&天皇杯準優勝
2010年はJリーグ優勝、2011年はJリーグ2位とコーチとして結果を残しました。
プレイヤーとしてグランパスの最初の黄金期を支え、指導者としてグランパスの2回目の黄金期を支えてきたということになります。
その後は名古屋でDSSの発足をし、最初はたった2名の生徒でしたがそこから数年で愛知で知らない人がいないサッカーチームを作り上げたというところまでが飯島寿久のサッカー”人”としての現在までの旅です。
そして、次の旅は郡上です!
もちろんここからの旅は元サポーターだった私も関わることになりますが、それでも1ファンとして飯島寿久という名プレイヤー・名コーチがどのようなチームとサッカーを郡上で作っていくのかが楽しみでなりません。
DSS郡上に関しましては後に公式サイトも制作いたしますが、それまではこの地域部活童振興会のホームページから情報を発進いたします。
ぜひ、これからの展開を楽しみにしていてください。